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家名/かめい

家名は絶えず変わります。

今では考えられない事ですが、明治以前の封建社会の琉球王府時代、家名は絶えず変わりました。家名とは何か?そうです!貴方の姓です。「新垣」とか「宮城」「大城」とか名乗っている姓は王府時代は絶えず変化しました。去年まで「宮城」だったAさんが、今年会ったら「玉城」さんになっており、三年後に会ったら「上原」になっていたということがあった訳です。あったというより、そういう社会だったということを理解しなければいけません。ただ全員がそうだという訳ではなく、士族の場合のみです。

そもそもこの姓、例えば「金城」「大城」「宮城」「上原」とかいうのは、ずっと昔から在ったと云うものではなく、明治になってからすべての人が姓を名乗るようになりました。明治以前は士族のみが姓を名乗っており、平民は姓を名乗っておりません。士族の「姓」は王府から役職で賜わった姓であり、役職の変更で「姓」も絶えず変わりました。

姓が一生のうちで6回も変わった首里士族の例

首里士族の例

17世紀の士族であった「翁氏」の城間親方盛武を例にとって説明いたしましょう。

今でいう彼の家名にあたる部分は城間ですが、これは彼が半永久的に所有する家名ではなく、彼が役職で治めている間切の領地名でした。また、親方というのは彼の身分(位階・階級)の事で、今で言えば市長村長にあたります。つまり、彼をひらたく呼べば「城間の村長をしている盛武さん」ということになります。

ですから、彼の役職が変わり、別の領地(間切)を治めるようになれば、当然家名も変わってしまうわけです。実際彼は在位31年の間に瀬嵩から汀間→目取間→城間→具志堅→多嘉良と、なんと6回も家名が変わっています。最後に彼が得た家名は直系の後孫が引き継ぐことになりますが、同じ兄弟でも違う役職につけば、違う「姓」を名乗るようになります。

城間親方の場合、親が城間を名乗っておりましても、長男が宮平を治めておれば「宮平親雲上」、二男は金城の土地を治めておれば「金城親雲上」、三男が玉城を治めておれば「玉城親雲上」となり、同じ家族でありなが、親は城間、長男は宮平、二男は金城、三男は玉城ということになります。親が城間であれば、子も当然のこととして全て「城間」を名乗る現代とは、全く異なっていることを社会であったことを理解しなければなりません。

現代の感覚で封建時代のことを同じように見てしまうと、同じ一門なのに何故「城間」「宮平」「金城」「玉城」と違う家名の人達がいるのか分からなくなってしまいます。士族の場合、彼等が名乗っている「姓」は彼等がかつて治めていた領地名を意味しており、一門に多くの「姓」があるということは、それだけその先祖がその土地で活躍していたという先祖の歴史を物語っているという事です。ちなみに毛氏・護佐丸系統の門中は108もの家名があり、王家の次に多い姓・家名を名乗っております。